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映画「ジョーカー」あらすじ見どころ-悲劇、喜劇、暴力 格差社会ゴッサムが生んだ偶像

スタッフ/キャスト

  • 監督-トッド・フィリップス
  • 脚本-トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー
  • キャスト
    ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ブレット・カレン他

概要/あらすじ

ホアキン・フェニックスを主演に、バットマンの稀代のヴィラン”ジョーカー”のオリジンを新たに描いた問題作。

1981年、市長選を控えるゴッサムシティでは財政難から清掃組合がストライキを起こし18日、非常事態宣言が発令されていた。大道芸人クラウンとして糊口をしのぐアーサーは、街の悪ガキたちから暴行を受けても全く抵抗できない弱い人間だ。脳神経の障害で突然笑いだしてしまう発作は周囲から気味悪がれ、アーサーは生きづらさを感じていた。精神疾患でカウンセリングに通い、薬に依存している。アーサーはカウンセリングの一環としてつけている日記にジョークのネタを書き留めていた。スタンド・アップ・コメディアンとして人々を笑わせることを生業にし、あこがれのコメディアン、マレー・フランクリンが司会を務めるTVショーにいつしか出演することを夢見ているのだった。
そんなアーサーは母ペニーと二人暮らしで貧しい生活を送っている。市長候補でもある名士トーマス・ウエインの屋敷で働いていた過去を持つペニーは、いつかトーマス・ウエインが貧困生活から親子を救ってくれると信じ、彼に何度も手紙を書いていたが、返事はまるでない。
悪ガキたちから暴行された件を心配した同僚のランドルはアーサーに護身用の拳銃を譲る。その日の帰りにアーサーは、アパートのエレベーターで同じ階に住むソフィーと一緒になり、彼女に想いをよせることになる。
ある日アーサーは小児病院の慰問をしていた。楽しく踊ってみせるアーサーだが、子供たちの目の前でランドルから譲られた拳銃を落としてしまい、その日のうちに解雇を言い渡される。意気消沈するアーサーをさらにトラブルがおそう。笑いの発作が原因で、地下鉄の車内で三人の酔っぱらったビジネスマンに絡まれてしまうのだ。三人から暴行をうけたアーサーは咄嗟に二人を射殺、逃げる一人も追いかけ背後から撃ち殺す。人を殺した恐怖から走り出し公衆トイレに逃げ込むアーサーだったが、恐怖はいつしか得体のしれぬ高揚感へとかわる。抑えきれない高揚感に突き動かされ、アーサーはソフィーの部屋を訪れ、彼女と深い仲となるのだった。
ビジネスマン三人の殺害事件がニュースとなり貧困層から支持を集めている事実を知ると、アーサーは今までは感じることができなかった”自分の存在”をしっかりと感じていた。市の経費削減からカウンセリングと薬が打ち切られてしまうが、コメディアンとしてライブのステージに上がり、ソフィーとデートをしたアーサーは充実した気持ちに満たされていく。しかしその夜、母ペニーがトーマス・ウエインに書いた手紙をふと盗み見てしまったことから、再びアーサーの精神は情緒を失いはじめるのだった。そして人生最悪の日を経て、ジョーカーは誕生する。

どんな人におすすめなの

ヒューマンドラマ、ダークなストーリーが好きな人。バットマン、ジョーカー好き。ただし直球なアメコミ作品が好きな人やジョーカーに圧倒的な悪の天才、カリスマ性を求める人には向かないかも。あと気持ちが落ちているときは引っ張られるかもしれないので注意です。

見どころや気になったポイント

※以下内容にふれるためネタバレ注意です

ホアキン・フェニックス

主演のホアキン・フェニックスが鬼気迫る。筋肉の上に薄皮一枚といった絞り込まれた肉体は強烈な印象を残します。特に序盤に出てくる背中のショットは異様であり美しい。また、その肉体から出る静動多彩なダンスには魅了されました。高揚感や動揺などアーサーの精神状態を魅せる演技も素晴らしく感じた。

親との関係性

  • 父親の不在
  • 一度は実父だと思ったトーマス・ウエインから拒絶される
  • 母が妄想性の病だったこと、実は棄児で養子であり幼年期に母の恋人から虐待を受けていた上に、母からも傍観されていた事実を知った絶望。
  • 隠れた父性ともみれるあこがれのマレー・フランクリンから、笑いのネタにされたことへの怒り。

母親を殺害することによってゆがんだ形で母からの自立を成し、マレー・フランクリンを殺害することによってゆがんだ形で父親を越える。グロテスクだが同時に孤独で寂しい物語である。

また、トーマス・ウエインとマレー・フランクリンの二人の父性が同じ「what you fuckin’ deserve(報いをうけろ)」というセリフで殺害されることや(犯人がマレー殺害の生放送を観ていたからや英語的に定型句とも解釈できるが)、バットマン(ブルース・ウエイン)のオリジンが形は違えど今作のジョーカーのオリジンと同じく両親(父性と母性)の喪失であるのが印象的だ。

悲劇、喜劇、暴力

喜劇(コメディー)は主観である。他人の悲劇や混乱はコメディーだ。ランドルは同僚のゲイリーをからかい、トーマス・ウエインは貧困層、落伍者をクラウンと揶揄する。悪ガキや酔っぱらったビジネスマンはアーサーを嘲りながら暴行を加える。マレー・フランクリンはアーサーを笑いのネタにする。当事者にとってはつらい悲劇だとしても。ヒエラルキーの中でそれはさらに鮮明だ。
自分の母親の診断書に書かれていた過去の事実や、ソフィーとの関係が自らの妄想だと気づいたアーサーは笑い続ける。アーサーの笑いの発作という症状が悲劇と喜劇をあいまいなものにしているのが面白い。そしてアーサーは自分の人生が悲劇ではなくコメディーだと悟る。それは悲劇と混乱で笑いのネタを作り出す「ジョーカー」の産声なのだが、この時点ではまだアーサーはコメディーの主役を演じているに過ぎない。アーサーはマレーのショーで自死することでコメディーのクライマックスを演じようと思っている。しかしTVショーの途中で主役の立場からプロデューサーの立場になることを選ぶ。
そうコメディーは主観である。笑えるか笑えないかは自分で決めればいい。マレーはアーサーのノックノック・ジョークを笑えないというが、現実社会では笑っていて、それに気が付かないのがこの世の中なのだ。自分より弱い人間、不幸な人間がいれば笑って踏みつけるが、踏まれる側になれば悲劇になる。なら、人を踏みつけて笑う側になればいい。
最も簡単に他者に最高の悲劇と混乱を届ける暴力という行為は、最高の笑いのネタとなるともいえる。
一般的なコメディーやカートゥーンが実は暴力的なこともよくありますよね。
そして街の暴動をみて、アーサーは満面の笑みを浮かべるのだ。

神格化される暴力

アーサーが起こしたビジネスマン殺害の事件は、貧困層から支持を集めメディアにも取り上げられることに。犯罪で奇しくも有名になってしまうのは、オマージュである「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」に通ずるところだが、本作ではさらに、TVショーの司会者マレー・フランクリンを生放送中に公開殺害することも相まって暴動にまで発展してしまう。ちなみにほかにもオマージュがちりばめられているので興味のある方には「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」もおすすめです。個人的には本作より「タクシードライバー」、「キング・オブ・コメディ」のほうが、より薄気味悪くて後味悪いと思ってます。
現行犯逮捕され護送されるアーサーを、一部の暴徒が救急搬送車両をぶつけて奪還する。このときアーサーは意識不明(もしくは死亡)となる。そこから息を吹き返すことで暴力と反体制のシンボルとして「ジョーカー」は完成する。これは有害物質に浸かり瀕死の状態から生まれかわるジョーカーの有名なオリジンとの親和性と、キリストを思わせる復活における神格化を感じる。このシーンがバットマンのオリジン、ウエイン夫妻の殺害と同時に描かれているのが、アーサーとブルースは兄弟ではないかもしれないが、ジョーカーとバットマンは兄弟のような似た存在であると感じられて面白い。

すべては妄想なのか...ラストシーンの謎

ジョーカーとして暴徒の中で踊ったのち、ラストいきなり真っ白な部屋でカウンセリングを受けるアーサーのシーンに切り替わる。ゴッサムシティといったらアーカムの一室と思うところだが、果たして本当にそうなのか。
この白い部屋は映画序盤のカウンセリングシーンで隔離されていた場所として挿入されるカットと同じ建物の部屋と思われるが、ここがアーカムだとすると母親のファイルを閲覧するために訪問したアーカムと矛盾が生じる。一つは母親の資料を閲覧する際に、アーサーが事務員にアーカムがどんな場所なのか訊ねている件。もう一つは壁の色や廊下の色が明らかに違う点だ。そこにソフィーの件やマレーのTVショーにあこがれる件などでも明らかなアーサーに妄想癖があること、映画内で出てくる時計が常に11時11分を指していることが重なると、今まで観てきたジョーカー誕生の話がたちまち不確かなものみえてくる。映画序盤の白い部屋のカットから、ジョークを思いついたといって挿入される両親を殺害されたブルース・ウエインのカットまでの間、ジョーカー誕生として今まで描かれた物語全体が一人の男の妄想、ジョークのようにも感じられる。そして男は血の足跡を残し、逃走する。

こうなると、ジョーカーはどこにでもあらわれる悪夢のような存在にも思えてくるのだ。

まとめ

といろいろ書いてきましたが、要は人それぞれ考察できるおもしろい映画ということですのでぜひ。

ジョーカー

トッド・フィリップス

マケイヌ的おすすめ度

狂気度

鬱度

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プロフィール

マケイヌ

人生のメインストリームから外れた40代の♂。

90年代オルタナにはまり、文字通りメインストリームから逸脱。 その後もたびたび人生から逃亡。

心が動いた作品の紹介や 自分のちいさな経験、HowToを発信できればと日々模索中。

1年後までにイラストと写真のポートフォリオをつくりたい。

記:2019年12月

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