目次
スタッフ/キャスト
- 監督・脚本・制作: スパイク・リー
(マルコムX、ジャングル・フィーバー、ブラック・クランズマン他) - キャスト スパイク・リー、ダニー・アイエロ、ジョン・タトゥーロ、リチャード・エドソン、サミュエル・L・ジャクソン、オジー・デイヴィス、ルビー・ディー他
概要/あらすじ
ブルックリンの何気ない出来事を描きながら、そこにひそむ人種問題を浮き彫りにする鬼才スパイク・リーの初期の傑作。1989年制作。
2020年の事件で再び注目される。
Public Enemyの「Fight the Power」をバックに劇中でティナを演じるロージー・ペレスが躍るHIPHOPのクールさ全開のPVのようなド派手なオープニングで幕を開ける(オープニング以降も全編にわたるファッションや色彩のカッコよさは要チェックです!)。
本編は、20年かけて地元に愛されるピザ店を営むイタリア系のサルと、そこでピザ配達のバイトをする無気力なアフリカ系青年ムーキーを中心に、ブルックリンの一角でおこる人間模様、小さな出来事を丁寧に描いていく。
こう書くと白人と黒人のささやかでさわやかな交流を描いた感動作になりそうだが、そこはスパイク・リー。うだるような暑さの中、小さなフラストレーションは徐々にたまっていき、思想家気取りのバギン・アウトやPublic Enemyを巨大なラジカセで大音量で鳴らすラジオ・ラヒームなども絡むことで人種間の問題は突如表層化する。物語は想像しえなかったカタストロフィを迎えることになる。
どんな人におすすめなの
群像劇などのヒューマンドラマが好きな人に特におすすめ。80年代から90年前半のHIPHOPのカルチャーやエネルギーを感じたい人もぜひ。
個人的に感じたポイント
※以降物語のクライマックスにふれる部分もあります。個人的に気になった部分を挙げました。解釈がおかしな部分もあるかもしれませんがご容赦を。
無気力な人々
日中にもかかわらずおしゃべり、悪ふざけ、クレーム。おそらく格差や失業率の高さに起因としていると思うだが、あまりにも無気力。バイトをしているムーキーは少しはマシに見えるが、実際はサボりまくりで文句主張だけは一人前な有様。
権利のようにわがままを振りかざす姿
イタリア系サルのピザ店で壁にかかっている写真が白人(イタリア系)スターばかりなのが気に食わず、黒人も飾れと無茶なクレームを入れさわぐバギン。
(DJラブダディが黒人アーティストの写真だけ飾っていたり、黒人アーティストの名前をあげリスペクトをあらわすシーンは実に対称的)
Public Enemyを大音量で鳴らしながらサルの店に入り、音を切れとサルに怒鳴られむっとするラヒーム。
ろくに仕事もしないのに店の電話で長話したり、給料の前借をたのむムーキー。
芯のない闘争
サルに白人ばかりの写真の件でクレームを入れ、ボイコットを呼びかけるバギンだが、他にやることといえばスニーカーを汚されたことの文句とそのスニーカーをみがくことだけ。
PublicEnemyを爆音で流しながら「LOVE」と「HATE」について熱く語るラヒーム。しかしその行動は高圧的で「HATE」を振りまくばかり。プエルトリコ系のグループが好きな音楽を聴いているのを邪魔したり、雑貨屋の韓国人店主に上からまくしたてる幼稚さが目に付く(高圧的な振舞は気の弱さの裏返しでもある)。
スマイリーはマルコムとキング牧師の写真をペンでデコり、それで日銭を稼いでいる。
潜在的な人種問題
本作であからさまに肌の色にこだわっているのは前述のバギンとサルの長男ピノのみなのだが、この二人が互いに独白の形でイタリア系とアフリカ系をステレオタイプにディスるシーンの後に、韓国系をディスるプエルトリコ系の青年、プエルトリコ系をディスる(ユダヤ系?)の警察官、ユダヤ系をディスる韓国系の雑貨屋の店主と続くシーンは印象的。作り上げられたイメージの中で相互にフラストレーションをためている様子が感じられる。
些細なきっかけが破滅へ
自分の焼いたピザを糧に成長していく人々を見てきたことに誇りを感じているサル。この日も閉店後にやってきた若者たちを招き入れる。そこへ己の主張を押しとおすために再び現れるバギンとラヒームの2人。2人と言い争ううちにサルはヒートアップし、ついには乱闘にまで発展してしまう。そして乱闘は思わぬ事件を引き起こし、舞台は破滅へと進んでいく。破滅の後に流れる「Fight the Power」があまりにもむなしく響く。権力と戦うとはこんなことなのか。。。
お互いが主張をゆずらない些細な言い争い、些細なきっかけ。たまっていたフラストレーションは爆発し悲劇になる。
閉店後に再度店を開かなければ、この悲劇を避けれたかもと思わずにはいられない。それとも先延ばしになるだけで結局は起こることなのか(実際に現実では何度も同じような事件が起きてしまっている)。
どうしようもない登場人物ばかりのなか、まじめに働き生計を立て、バギンや兄であるムーキーをたしなめるジェイド、常に酔っぱらいながらも誠実に生きるメイヤー、「君らは仲良く暮らしていきたくはないのか?」と問いかけるDJラブ・ダディにはすこしだけ気持ちが救われる。
それでも警察官たち行動は疑問だ
小競り合いからはじまった乱闘。明らかにバギン、ラヒームに非はあるのだが、それでも現場に駆け付けた警察官たちの行動は疑問だ。普段の巡回からトラブルメーカーの2人に目をつけていた可能性もあるが、争いの発端を見てもいない警察がいきなりアフリカ系の2人だけを拘束するのは、やはり人種に対するバイアスがかかっていることを否定できない。
一方で前半に、裕福そうな白人男性がいたずらによってクラシックカーを水浸しにされたときには(シーンとしては明るく楽しくエネルギーにあふれている)、その男性の主張をろくに取り合わない。格差に対するコンプレックスや面倒を避けたい体質もなんとなく透けて見える感じがする。
LOVEとHATEの間でゆれる人種問題
ときにきつく当たりながらもムーキーに愛情をかけていたサル。しかしラストにはムーキーに怒りをぶちまけ、互いにお金を投げつけあうことに。「LOVE」は「HATE」に追い詰められた。
このラスト、このまま2人は平行線で、永久に理解しあえないとも解釈できる。
でも自分は「まず坊主のところに戻る」といったムーキーに対し、サルのまなざしが優しくなったように感じたし、ムーキーも最後には頑な態度を少し和らげたように感じた。人種のレッテルを抜きに人間同士でつながったようにも見えた。そして、これがラヒームが語った「右手(LOVE)は一瞬負けたように見える だが 右手は勢いを取り戻し~」の瞬間だと思いたい。
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