
目次
スタッフ/キャスト
- 監督-クリストファー・ノーラン
- 脚本-クリストファー・ノーラン
- キャスト
ガイ・ピアース、キャリー=アン・モス、ジョー・パントリアーノ他
概要/あらすじ
前向性健忘の主人公レナードの復讐劇を、時系列を逆行することで描いたクリストファー・ノーラン監督による異色サスペンス。
逆再生、徐々に色を失っていく射殺体のポラロイド。
逆再生、ポラロイドカメラに吸い込まれていくフィルム。
逆再生、銃にのみこまれていく薬莢。銃声。銃を構えるレナード。
モノクローム、モーテルの一室で目覚めるレナード。
レナードは暴漢に妻を殺害された事件のときにうけた傷の後遺症で、10分しか記憶が続かない前向性健忘になってしまう。復讐を果たすために犯人を捜すレナード。絶えずメモを取り、人物、場所はポラロイドで写真を撮り、重要事項は体中に刺青している。レナードはどのように復讐を成し遂げたのか、時間をさかのぼるにつれて明らかになる真相を前に、観客は真実を見失っていく。
どんな人におすすめなの
サスペンス好き。斬新なプロット好き。
見どころ
カットアップで時系列を遡っていく脚本が秀逸です。時系列を逆行していくカラーのシーン、順行するモノクロのシーン、モノクロのシーンの中で語られるレナードと同じ記憶障害をもつサミーのエピソード、サブリミナル的に挿入される妻との思い出と妻殺害のシーン、それらが交わりながら収束していきます。さらに話が進むにつれ、レナードも含めた登場人物の言動の真偽があいまいになっていくので、混乱していくサスペンス感が面白いです。
個人的にポイントだと思ったこと
※以下詳細にふれるのでネタバレ注意です。
信頼できない語り手
前向性健忘で、事件前の記憶や写真やメモ、刺青をもとに行動するレナードはあきらかに”信頼できない語り手”です。クライマックスでテディはレナードはすでに復讐を果たしていると告げます。サミーのエピソードはレナードが作り出したものであり、レナードの妻が死んだ原因も暴漢に襲われたからではなく、レナードによるものだと示唆します。その事実を受け入れられず、さらに復讐が生きる目的となっていたレナードはテディの写真に「嘘を信じるな」と書き込みます。テディを射殺したことで成し遂げたと思われた復讐劇のスタート地点を確認して観客は唖然とするのです。
ところで書き込まれた「嘘を信じるな」文字は、果たして間違っているのでしょうか?確かにラストのテディは刑事であり話していることも詳細なので、正しいことを言っていると観客は思わされます。しかし、刑事が語れば正しいことなのか。クライマックスまではテディの言動も実に真偽が定かではなかったはずです。テディも”信頼できない語り手”だったはずが、観客は自分が納得できるようにテディを信じているのです。実は観客もレナードと同じくような思考をとらされていることに気付かされるのです。
I’ve done itの刺青
ラストで回想のように一瞬入る妻とレナードが寄り添うシーン。そこに映るレナードにはすでに刺青があり、さらに現実には入っていないはずの「I’ve done it(成し遂げた)」の文字まで入っています。レナードは妻との記憶に間違いはないと思っていますが、明らかな齟齬があるこのシーンで、レナードと妻との記憶が実にあいまいなものだと決定づけられます。
目の前にある今
ラストで記憶があいまいなレナードが「記憶は自分の確認のためなのだ みんなそうだ」と語るところが面白い。この映画では確固たる信頼できる語り手も存在せず、レナードの記憶の連続性もあやふやだ。そのため、レナードは存在すら不確かなのだ。そのようなレナードは存在するために必死に過去の記憶にしがみついている。しかしレナードに本当に必要なのは目の前にある今を生きることなのではないだろうか。そしてレナードと程度の差こそあれ、記憶や他者からの認識といったあいまいなもので形作られた、不確かな存在であろうわれわれ観客も、目の前にある今を生きていくことが大切なのかもしれない。
といろいろ書きましたが、解釈したいようにしか解釈できない観客は、結局クリストファー・ノーランの手のひらで転がされているだけなのでした。